一浪京大生が見たもの

現役時代は全模試E判定不合格の受験生が、1年の浪人で全模試A判定京大合格に辿り着いて見えたものとは。

受験はなに主義?

受験に関しては様々な判断基準が存在します。例えば、受験は結果論であり合格しなければ意味がない、だとか、第一志望に合格しなくても必死に努力した経験がそれからの自分のためになる、といったものです。
私は、少なくとも第一志望に合格することが「唯一」にして「最高」の恩返しであると考えます。原初の目的である第一志望合格のために、自分の時間やモノだけでなく、自分を支えてくださる周囲の人の時間やモノまで捧げてきたわけです。私も浪人して予備校に通わせてもらって具体的な金額を目にして初めて、いかに周りの人に支えてもらっているかを身にしみて感じ、そして自分は絶対にその期待に応えなければならないという責任を感じました。
だから、受験本番の会場で、試験問題との対話を開始したら、絶対に合格に見合うモノを置いてこなければならないし、そして結果で、唯一にして最高の恩返しを何としてもしなければならないのです。試験が終わる最後の一秒まで努力して成長を目指し、自分を報わせなければならないのです。
こんなことを言うと、第一志望に受からなかったからこそ見えてくるものだってある、といった意見が出されるかもしれません。
私は、そのような失敗からの教訓的なものは、失敗してからそれまでの自分の努力に何か意味付けを行うことで事後的にいくらでも獲得できると思うのです。
というより、膨大な時間と労力を費やして目指してきたものが得られなかった現実に直面した時、人はそれを素直に受け入れるほど強くはないのでしょう。そして何も得られなかった自分に怖くなって、それまでの自分を正当化しようとして、過去の自分の経験に何らかの「意味付け」を行うのではないでしょうか。それが、失敗からの教訓なるものではないかと思われます。
結局言いたいことは、当たり前ですが、とにかく合格しなければならないということです。合格する、ではないのです。「必ず」合格して、それまでの自分を、自分と共に捧げたすべてのものを正当化しなければ、報わせなければ、ならないのです。

「意味ある」受験に

受験勉強というとそれぞれの人にそれぞれ固有の意味をもたらすものだと考えられますが、私としては志望校合格という目標と現状の自らの力との相克にもがき、自分なりの方策を立て試行錯誤しながら、その過程で(脇道に逸れるわけではないですが)何か新しい、思いもよらなかったことが自分の中に染み込んでくること。そういう経験の繰り返しではないかと思うのです。
じゃあそれが何なのか、それは本人にしかわかりませんし本人にしか分からなくていいと思うのです。
こんなことを言うと、「じゃあ合格しなくてもいいのか」と言われそう、ですが、僕が言いたいのは、今述べたような過程での新たな発見を得ることのない合格というものはしてほしくない、というより、そのような発見の得られる可能性のある環境を最大限に生かしてほしいということです。
結果としての合格、なんていうと付属品みたいでだめですが、自分なりにでいいから新たな経験を経たのちに合格は位置するものであってほしいと思います。

受験の通念に疑問を投げかける

大学受験に関しては様々な講師や受験で「逆転」とか「成功」した先輩が、書籍やインターネット上で独自の成績アップのための方法論を展開しています。そんな中でも比較的よく言われるのが


「基礎」を大切にする


というものです。これは受験勉強のみならず何か新しいことを身に着けようとするときにも大切であることと考えられます。
早速ですが疑問を投げかけてみたいと思います。


受験勉強に置ける「基礎」って何でしょうか?


言葉というものには定義が必要であり、範囲が限定されればより具体的な定義が可能になります。
ああ、基礎が大事なのか、自分が簡単で基本的だなと思うことをしっかり理解していればいいんだな。
そんな風に現役時代の自分は考えていました。しかし、これは曖昧過ぎました。結果として「何が基礎なのか」ということも分からず、足元をすくわれたという気さえもせず、点数を取ることができずに終わってしまったように思います。
その後の浪人生活の中でもう一度基本的な事項から徹底的に見直し復習していった結果分かったことは、基礎というものは問題に立ち向かうための自分の武器のようなものであるということです。入試問題というのは自分の力で解いていかなければならないものですが、その際にどれだけの武器、すなわち基礎力を持ち合わせているかでアプローチの仕方が大きく変わってきます。


つまり、基本的な基礎的な問題の解き方を知っているという事実が基礎ができていることそのものの同義であるというわけではなくむしろ、受験に立ち向かう中で、道端に落ちている簡単な問題からエッセンスを抜き出し、次は自分自身がそれを武器として能動的に使っていける状態にまで磨き上げる、それができて初めて基礎が大事にできた状態であると言えるのではないかと思うのです。


ではある問題がその、武器になりうる問題や事項であるかどうかを判断するためには、先人、すなわち受験のエキスパートである塾講師の出版している参考書であるとか、学校の先生の話にその根拠を求めればよいのではないかと思いますし、参考書や先生の話をそのように利用することはより効果的な使い方の一つではないかと考えています。


基礎が大切なのはもちろんそうですが、基礎とは何なのか基礎を大切にするとはどういうことなのかを知ることのほうがより大切なのではないでしょうか。