一浪京大生が見たもの

現役時代は全模試E判定不合格の受験生が、1年の浪人で全模試A判定京大合格に辿り着いて見えたものとは。

「意味ある」受験に

受験勉強というとそれぞれの人にそれぞれ固有の意味をもたらすものだと考えられますが、私としては志望校合格という目標と現状の自らの力との相克にもがき、自分なりの方策を立て試行錯誤しながら、その過程で(脇道に逸れるわけではないですが)何か新しい、思いもよらなかったことが自分の中に染み込んでくること。そういう経験の繰り返しではないかと思うのです。
じゃあそれが何なのか、それは本人にしかわかりませんし本人にしか分からなくていいと思うのです。
こんなことを言うと、「じゃあ合格しなくてもいいのか」と言われそう、ですが、僕が言いたいのは、今述べたような過程での新たな発見を得ることのない合格というものはしてほしくない、というより、そのような発見の得られる可能性のある環境を最大限に生かしてほしいということです。
結果としての合格、なんていうと付属品みたいでだめですが、自分なりにでいいから新たな経験を経たのちに合格は位置するものであってほしいと思います。